外邦図――帝国日本のアジア地図

外邦図――帝国日本のアジア地図 (中公新書)
外邦図――帝国日本のアジア地図 (中公新書)小林 茂

中央公論新社 2011-07-22
売り上げランキング : 323760


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

外邦図とは聴きなれない言葉だと思いますが、wikipediaからの引用でご説明します。

外邦図(がいほうず)とは、日本陸軍参謀本部陸地測量部が作成した地図である。

元々はそのうち日本の領土以外の範囲の地図を指す狭義の意味であったが、日本の領土の範囲も含めて同部の地図作成施策によるもの全体を指す広義の意味でも用いられる。

というわけです。

明治から太平洋戦争終戦まで、日本の地図編纂業務は基本的に日本陸軍参謀本部陸地測量部が担当していました。終戦後、この人員が中核となって国土地理院になったのは業界筋ではわりと有名な話です。最近ではGPSもわりと活用されて、基準点などもデジタル化されてPCで閲覧したりすることがもっぱらですが、十年ちょっと前だと、昔の資料をひっぱりだすと、陸軍測量部という文言が書かれている資料がよくでてきたものです。

本書では、日本国外での地図作成業務がいかに行われたのか。というのが懇切丁寧に書かれています。最初はお抱え外国人に国内の地図作成業務も委託していたりしていたのですが、次第に測量方法を習得するにつれて外地、まぁここでは朝鮮半島とか中国とか、当時の日本にとってのホットスポットでの調査業務が主体となっていきます。

ただし、あまり日本にいては気がつかないのですが、地図というのは軍事的に非常に重要な情報です。そのため、主権が及ばない地域での地図作成業務はときとして妨害なども行われます。そして、いざ戦争になると相手国の地図を手に入れたりして、それを利用したりと様々なことが行われるわけです。

で、終戦後、それらの地図はGHQ、特に米国に流れていってしまったり散逸してしまったりして、国内の大学などで細々と集積しているのが実情です。
最近では、GoogleMap、Earthなど、既存の最新デジタル地図上に古地図を重ねる作業もわりとスムーズに行えるようになり、これらの研究がスタートしているところで、この本はそこらへんの逸話も若干入れています。

どうして古地図がそこまで注目されるのかというと、地形もまた時代によって変化していくんですよね。
中国での古地図といわれても、昔、三国志がわりとブームだったころの学研ムック本とかでよく当時の地形地図として、防衛研究所にある中国奥地の地図がひっぱりだされたりしていましたが、当時の中国が地図をもっていたわけでもなく、ダムやらなにやらで川の流れが変わるのは日本国内でもよくありがちなのはご存知の通り。で、日本人はわりと凝り性なので、あちこちに(精度はともかく)地図が残っているのですが、そんなもんないところとか、ありがちですから、まぁなんというか大変なわけです。
そういうのを補完する意味でも外邦図は注目されているわけです。


古地図というわけではありませんが、こういう地図の世界もあるんだよ。というわけで読了メモとして。

(余談ですが、日本ほど高縮尺の地図が簡単に手に入る国は珍しいです。アメリカやヨーロッパでのロードマップで道に迷うという話がよく70年代とか80年代にあったりするのですが、わりと低め、10万分の1とかだったりするわけです。ですので、GoogleMap、GoogleEarthの衝撃なりがあったのですが、日本国内だとわりと阪神大震災以降、地図のデジタルデータ化に邁進…これまたガラパゴス的展開というかなんなのか、日本はGPSを使った高精度測量業務に乗り出しており、これがまた周辺各国との微妙な差を作り出しているようなないような…していたので、便利ではあるけどそこまでの衝撃はなかったかなぁ…ただ便利ではありますよね。)

(もう一つ余談。1970年代あたりのアフリカが宗主国から独立したときに、旧宗主国は植民地時代の地図を根こそぎもっていったそうです。地図というは、数学の知識もさることながら、天文学、そして精度の高い測量機器の開発、あるいは維持が必要な、ある意味その国の文化のバロメーターでもあるため、アフリカ諸国ではいまだに満足な地図がないところもあります。日本がわりとODAで、アフリカ、中東などの地図作成業務に絡んでいるのも有名な話で、自分もちょっとだけ、某ユーゴあたりの地図とかをちらちらと見ることがありました)